森田療法

森田療法は神経症に対する精神療法で、パニック障害、広場恐怖、社交不安障害、全般性不安障害、強迫性障害、心気症、身体表現性障害などが主たる治療の対象となります。神経症の背後にある、内向的、内省的、心配性、小心、敏感、些事にこだわる、完全主義、理想主義、頑固、負けず嫌い、といった神経症に陥りやすい特有の「神経質」な気質・性格に着目します。以下にいくつかのキーワードを挙げて説明します。

「精神交互作用」とは、ある感覚(特に不快なもの)に対して、注意を集中すると、その感覚はより一層鋭敏になり、その感覚が固着されるという性質、精神過程を示します。「注意と感覚の悪循環」という作用で、神経症症状の温床となります。

「あるがまま(自然服従・境遇柔順)」とは、気分や感情にとらわれず、自分がやるべきことを実行していく、という目的本位の姿勢、症状にとらわれない姿勢を示します。気分や感情は天気と同じように自分でコントロールできるものではなく、時間がたつと自然に落ち着いてくるものである、故に気分や感情、症状はそのままに、目的本位にすべきことを行うことが大切である、と説いています。

「感情の法則」とは「感情はそのまま放任すれば山形の曲線をなし一のぼりしてついには消失する」などに示されますが、自分でコントロールできるものではなく、自然な反応として起こるもので、それを排除したり、操れるものではない、ということを示しています。これは気分や症状にも同様のことが言えます。何かに夢中になったり心を奪われたりしているときに不快な感情、気分、症状を忘れていた、という経験は誰にでもあるのではないでしょうか?

「思想の矛盾」とは神経質者にある「かくあるべし」という願望・理想と、現実の自分・社会との矛盾・乖離を意味するもので、誤った考え方を意味します。森田療法では我々の主観と客観、感情と知識、理解と体得などは、似ているようで実際はしばしば矛盾するものと考えます。 例えば毛虫を見て、我々が一般にこれを不快に感じ、嫌悪し、怖がることは「感情の事実」です。しかし毛虫が毒気を吐くものでもなく、人に飛びつくものでないことは、我々の知識によって知ることができます。毛虫を見てたちまち目を閉じて逃げ出す人は感情に支配される人です。必要に応じてこれに近づき、これを駆除することができるのは理知の力です。すなわち、不快のままに毛虫に近づくことができるのは感情と知識の両立であって、あるがままの当然の行動であり、正しき精神の態度となります。これに反し、毛虫に対してまず嫌悪の感情を排除し、好感を起こしてその後で毛虫に近づこうと努力するのなら、理屈で感情を押さえつけようとする行為であり、これが思想の矛盾につながります。森田療法では、上の例で示す通り、調和・調節力が養われることが目的となります。ともすると「我慢」ととらえられそうですが、目的本位の「辛抱」ととらえることで、調和・調節力が育まれます。

「生の欲望」とは、森田療法の基本的な考え方の一つで、人はみな、本能的に向上心を持っている、といったものです。今日より明日、明日より明後日と、悪い人間になりたい人はいない、よりよく生きたい、人に認められたい、偉くなりたい、健康でいたい、などのどうしようもない向上心・発展欲が、私たちにはあります。しかしこの欲望・欲求の裏には、人に認められなかったらどうしよう、馬鹿にされたらどうしよう、死にたくないなどの不安や恐怖といったマイナスのエネルギーも強く存在します。このマイナスのエネルギーがときに心身の不調につながりますが、森田療法では両者・両面を、人間性の事実としてそのまま受容するのが自然な在り方、ととらえます。森田療法は、この不安や恐怖心を取り除こうとすることはやめて、目的や行動を通じて、人間本来の建設的なエネルギーを発揮させようという治療法です。

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